自閉症スペクトラム+αで生きていく

ASD(自閉症スペクトラム)とSAD(社会不安障害)を持っています。

幼少期の自閉症傾向②

 

前置き

 

こんにちは。ぺんぎんです。

 

先週このブログの✨デザイン変更✨を行いました。※作業はPCで行っているため、スマートフォンでは異なるかもしれません…うまく伝わってなかったらすみません…。

 

このブログの雰囲気として、全体的にレモンイエローミントなど、心に優しい色彩を心がけています。

 

 

それはさておき、今日は前回に引き続き過去の話をしようと思っているのですが、実は睡眠障害や薬の影響、夜遅くまでPC作業をしていたせいもあり、今日凄く眠いんです😪

なので文が変だったり、誤字があって読みにくかったらすみません…💦

 

 

 

近状報告

 

今週は水・木曜日がとてもうつ状態が悪化し、2日間寝たきり状態でした(-_-;)

体は動かないし、食べ物も食べたくない…好きなこともしたくない…生きてるのか死んでるのかわからない状態だったし、ただひたすら「辛い…」と思って泣いておりました。

 

たまたま2日目は両親が不在だったのですが、あまりにも辛くて久々に大泣きして、おかげで翌日はちょっとスッキリし、翌日からはある程度日常生活を送れるようになりました。

 

ネットには何か月何年とうつで寝たきりの方もいらっしゃるという情報も目にします。心が体に「動くな」と命令してる状態と聞きますが、その通りだと思います。

 

個人の体験としては、うつになる前は必ずその兆候(不眠、慢性疲労、物忘れ)があったので、そのサインを見逃さないようにしたいものです。

 

また家族と相談し、近いうち障害者手帳を申請することになりました。こちらについても今後このブログで情報提供できたらいいなと思ってます。

 

もう一つ。先月行っていた記事制作は勉学優先のためお休みすることにしたのですが、あり難いことに高い評価をいただけたので、再開できたらそちらの収入も考慮していきたいなと考えたり(単価アップのお誘いもいただき、とても嬉しかったです)。

 

前進してるのか後退してるのかよくわからない一週間でしたが、個人的にはこうして書き連ねると一歩くらいは進んでいるのかな、という感想です😊

 

 

ADHDの原因遺伝子の発見

今週は発達障害の業界でも、大きな進歩がありましたね。

 

2018年1月31日、和歌山県医大の森川吉博教授らが発見した「Kirrel3」という遺伝子が、ADHDの原因遺伝子と特定されました。

 

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これはすごい発見ではないかと私は思います。なぜなら、この遺伝子に対する治療薬の開発も進むのではないか、と考えているからです。

 

 

実は私は去年まで薬大で勉強していたので、薬が体にどのように作用するかはある程度認識しているつもりです。

遺伝子が関わるイメージってとっつきにくいものですが、

簡単に説明すると、薬はタンパク質を変質させる働きがあり、また遺伝子もタンパク質です。つまり遺伝子の設計図が特定できれば、特異的に薬の設計図も見えてくる、ということなんですね。

 

また、発達障害が遺伝と関係があるのも、遺伝子という観点からみれば納得いくな~と、個人的にすごく腑に落ちました。

 

遺伝子を標的にした薬は世の中に数々存在します(抗がん剤など)。この発見が、のちに有効な治療の根幹になることを願います。

 

幼少期の自閉傾向

ここから前回の続きの過去話です。

 

幼稚園を卒業した後、私は小学生として6年間、

  • 小学校
  • 学童施設
  • 習い事や塾

 

この3つを中心に生活することになります。

小学校では勉強は好きでしたが、運動は苦手でした。また家では殆ど絵を描いたり、ケーブルテレビのアニメをみるといったように、元から結構なインドア派でした。

 

このころ、私には場面緘黙症ばめんかんもくしょう)」という症状がありました。

特定の環境にいると、全くしゃべらなくなるという症状です。発達障害にもなじみがある症状です。

 

緘黙の出現は人によると思いますが、私の場合、

  ○地域の親戚
  ○小学校や学童の先生
  ○習い事の先生
  ○学校の上級生

 

など、‟他人の大人”や‟強気な子”に対して場面緘黙が表れました。同級生や家族とは普通に喋れるのに、要は苦手な人を前にすると全く声が出なかったのです。

 

特に学童施設では顕著でした。なにを聞かれても首を縦か横に振ることしかできませんでした。トイレに行きたくても言えず、お漏らしをしてしまったこともありました。

 

そのため、「こいつぜんぜんしゃべらないじゃん」と一部の男子にからかわれ、いじめられていました。そのストレスが過度に達し、よく爪を血が出るまでいじくっていた記憶があります。

 

じゃあ施設では何をしてたんだ、という話なんですが、誰とも遊ぶことができなかったので、本ばっかり読んでいましたね…。パズルとか塗り絵とか、一人遊びしかできませんでした(でもなぜか学校では友達と遊べてました)。

 

本ばっか読んでいたからか、学校の成績には困ることはありませんでした。図画工作や体育より勉強が好きな子でした。

多動や問題行動もあまり目立たない方でした。しかし、それゆえ発達障害の発見が遅れたのは言うまでもありません。

 

 

高学年に上がるにつれ、自覚すらしていませんでしたが、私はだんだん周りの子とズレるようになっていきました。

空気の読めない言動も相変わらずありました。一度友達に「ぺんぎんはKYだよね」とはっきり言われたこともありました。全く自覚がなかったので、とてもショックでした。しかも、自分の発言が空気を壊したことは分かるのに、その発言のどこが悪かったのかを理解することもできませんでした。

 

また、このころは身なりにも無頓着だったというか、例えば似合う髪型や服装がわからずちぐはぐな恰好をしていて、男の子に冷たい反応をされることもありました。

男の子は学年が上がるにつれて口調が変わることって多いと思うのですが、その変化についていけなくなった?ような気もします。

 

仲のいい男の子もいたような気もしますが、とにもかくにもこの頃から男子と話すことが苦手になっていきました。

 

また、席替え、クラス替えなど、変化がある行事は特に嫌いでした。これも今を思えば傾向かなぁ、と思います。

 

 

長くなってしまったので、続きはまた来週更新したいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

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