小休止(アスペルガーと認知について)
こんにちは。ぺんぎんです。
このブログは週一更新(特に日曜)を心がけているのですが、いかんせん体調・集中力の波が激しい体質で、先週は更新をお休みしました(;^_^A
無茶すると長続きしないだろうな、とは分かっているので、
今回はちょっとだけでも、近状報告とか、当事者として思うアスペルガーの認知について話したいと思います。
今回は文字のレイアウトすらする気力がないので、簡素な感じになっているかもしれませんが、読んでいただけると嬉しいです。
近状報告+アスペルガーの認知機能について思うこと
先週は特に、ベッドから起き上がることもできない日が続きました。
元々根気強いタイプでもないうえ、ブログはパソコンで製作したい派(ここも頑固なアスペルガーの気質なんだろうな…)で、机に座ることすらできないばかりでした。
気分も鬱状態で、家族ともうまく会話できず、ごはんも睡眠もダメでした。
アスペルガーにありがちな自己管理が苦手なところが悪い方に働いてるんですよね…。これはアスペルガーのみならず、主治医にはまず日常生活の管理から、と言われました(手帳の取得も並行して行っています)
いつも誰かに、甘えだ、情けないと言われてる気分になって、実際直接言われたわけでもないのに泣いて落ち込む私です…。
特に誰かに否定的な言葉をあてられる(またはそう受け取る)と、「もう生きていたくない」「これ以上否定されるのは耐えられない」と、逃げたり身動きが取れなくなることが多いです。
それだけ攻撃されてると感じているのかな、と思ったりもしますが、この打たれ弱さは自分にとって大きな障害なので、カウンセリングではよく中心になる内容です。(感情のコントロールや感情の数値化など)
鬱状態が強いと、「生きるか死ぬか」「仕事を続けるか辞めるか」といった、二極視になる、という話は聞いたことがあるかもしれません。
アスペルガーの特性に「0か100」「白か黒」のシングルフォーカス(連続的な考え方ができない極端な思考)があげられますが、つまりアスペルガーの要素が強い自分は、元から鬱思考になりやすい、かつ容易く変えられない部分なんですよね(~_~;)
もちろん、この思考が悪いわけではないだろうし、長所になることもあります。ですが苦しいときの方が圧倒的に多いです。
性格だって考え方だって、そう簡単に変えれたら苦労はしません。
認知については、かなり長丁場になるかなあ、と感じています。
発達関係や精神障害を緩和させるためには、時間も労力もかかります。自分だけでなく、周りの人にもです。
そして、本人の感じる時間と、周りの感じる時間には大きなズレがあることを知っておく必要があります。
普通の人がAという作業に30のストレスを消費するのに必要な休憩が10分なら、当事者にとっては90のストレスで1時間の休憩がかかることがあります。
年単位でも同じことです。学校にすんなり通える人もいれば、卒業まで何年かかる人もいます。
なかなか行動できない場合は、その行動に対しストレスが80も90もあって、挑むのに時間がかかっている、そんな場合もあると思うんです。
そして、その体力やペースは生まれつきであり、決して本人が怠けている訳ではないのです。
なので、まずは自分のペースが他人と違うんだな、と納得することが、生きやすくなる小さな一歩のように感じます。
そして、当事者を支える立場の方にも、当事者に対し「まだやらないの?」と焦らすのではなく、「まだやるときじゃないんだな」と理解してあげてほしいと思っています。
それに、人間は「やらなければならない!」と本能的に思ったときは、ちゃんと行動できるようになっていると思うので、
「ペースや体力を尊重する」これは心の健康として大事な考え方だと思います。
まとめとして、自分の課題を書いておきます(すべての人に対応するとは言えないので、参考程度にとらえてくれると嬉しいです)
①理解されない言動をされたとき、どうやって心を保つか考えておく(あるいは経験しておく)必要がある
②自分のペースを理解し、その上でどう生きていくかを考える(そうすると、福祉サービスの選択もしやすくなるのかな、と…)
③周りの人のペースも理解する
④できない自分を責めない(でないと、他人のできないことまで責めるようになってしまうので)
⑤現時点でできそうなことからやってみる(できそうなこと、できたことを紙に書く)
そして、睡眠と食事と服薬!この3つを意識して、また一週間頑張ってみます。
結構日夜逆転しがちだし、毎日朝起きて夜寝るのを保つのは苦手ですが、それでも朝起きて夜寝るとごはんもおいしいし、こうしてブログを書けるくらいには精神が安定してきます。
このまま体を動かせるレベルまでもっていきたいところです泣
余談ですが、モヤモヤして眠れない時、100均のメモに目一杯悩みを書いたのですが、かなりすっきりして眠れました。日記すら継続が難しい自分には効果が大きかったです…!
それでは今回はこの辺で。よい週末をお過ごしください🌸
ぺんぎん
幼少期の自閉症傾向②
前置き
こんにちは。ぺんぎんです。
先週このブログの✨デザイン変更✨を行いました。※作業はPCで行っているため、スマートフォンでは異なるかもしれません…うまく伝わってなかったらすみません…。
このブログの雰囲気として、全体的にレモンイエローやミントなど、心に優しい色彩を心がけています。
それはさておき、今日は前回に引き続き過去の話をしようと思っているのですが、実は睡眠障害や薬の影響、夜遅くまでPC作業をしていたせいもあり、今日凄く眠いんです😪
なので文が変だったり、誤字があって読みにくかったらすみません…💦
近状報告
今週は水・木曜日がとてもうつ状態が悪化し、2日間寝たきり状態でした(-_-;)
体は動かないし、食べ物も食べたくない…好きなこともしたくない…生きてるのか死んでるのかわからない状態だったし、ただひたすら「辛い…」と思って泣いておりました。
たまたま2日目は両親が不在だったのですが、あまりにも辛くて久々に大泣きして、おかげで翌日はちょっとスッキリし、翌日からはある程度日常生活を送れるようになりました。
ネットには何か月何年とうつで寝たきりの方もいらっしゃるという情報も目にします。心が体に「動くな」と命令してる状態と聞きますが、その通りだと思います。
個人の体験としては、うつになる前は必ずその兆候(不眠、慢性疲労、物忘れ)があったので、そのサインを見逃さないようにしたいものです。
また家族と相談し、近いうち障害者手帳を申請することになりました。こちらについても今後このブログで情報提供できたらいいなと思ってます。
もう一つ。先月行っていた記事制作は勉学優先のためお休みすることにしたのですが、あり難いことに高い評価をいただけたので、再開できたらそちらの収入も考慮していきたいなと考えたり(単価アップのお誘いもいただき、とても嬉しかったです❢)。
前進してるのか後退してるのかよくわからない一週間でしたが、個人的にはこうして書き連ねると一歩くらいは進んでいるのかな、という感想です😊
ADHDの原因遺伝子の発見
今週は発達障害の業界でも、大きな進歩がありましたね。
2018年1月31日、和歌山県立医大の森川吉博教授らが発見した「Kirrel3」という遺伝子が、ADHDの原因遺伝子と特定されました。
これはすごい発見ではないかと私は思います。なぜなら、この遺伝子に対する治療薬の開発も進むのではないか、と考えているからです。
実は私は去年まで薬大で勉強していたので、薬が体にどのように作用するかはある程度認識しているつもりです。
遺伝子と薬が関わるイメージってとっつきにくいものですが、
簡単に説明すると、薬はタンパク質を変質させる働きがあり、また遺伝子もタンパク質です。つまり遺伝子の設計図が特定できれば、特異的に薬の設計図も見えてくる、ということなんですね。
また、発達障害が遺伝と関係があるのも、遺伝子という観点からみれば納得いくな~と、個人的にすごく腑に落ちました。
遺伝子を標的にした薬は世の中に数々存在します(抗がん剤など)。この発見が、のちに有効な治療の根幹になることを願います。
幼少期の自閉傾向②
ここから前回の続きの過去話です。
幼稚園を卒業した後、私は小学生として6年間、
- 小学校
- 学童施設
- 習い事や塾
この3つを中心に生活することになります。
小学校では勉強は好きでしたが、運動は苦手でした。また家では殆ど絵を描いたり、ケーブルテレビのアニメをみるといったように、元から結構なインドア派でした。
このころ、私には「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」という症状がありました。
特定の環境にいると、全くしゃべらなくなるという症状です。発達障害にもなじみがある症状です。
緘黙の出現は人によると思いますが、私の場合、
○地域の親戚
○小学校や学童の先生
○習い事の先生
○学校の上級生
など、‟他人の大人”や‟強気な子”に対して場面緘黙が表れました。同級生や家族とは普通に喋れるのに、要は苦手な人を前にすると全く声が出なかったのです。
特に学童施設では顕著でした。なにを聞かれても首を縦か横に振ることしかできませんでした。トイレに行きたくても言えず、お漏らしをしてしまったこともありました。
そのため、「こいつぜんぜんしゃべらないじゃん」と一部の男子にからかわれ、いじめられていました。そのストレスが過度に達し、よく爪を血が出るまでいじくっていた記憶があります。
じゃあ施設では何をしてたんだ、という話なんですが、誰とも遊ぶことができなかったので、本ばっかり読んでいましたね…。パズルとか塗り絵とか、一人遊びしかできませんでした(でもなぜか学校では友達と遊べてました)。
本ばっか読んでいたからか、学校の成績には困ることはありませんでした。図画工作や体育より勉強が好きな子でした。
多動や問題行動もあまり目立たない方でした。しかし、それゆえ発達障害の発見が遅れたのは言うまでもありません。
高学年に上がるにつれ、自覚すらしていませんでしたが、私はだんだん周りの子とズレるようになっていきました。
空気の読めない言動も相変わらずありました。一度友達に「ぺんぎんはKYだよね」とはっきり言われたこともありました。全く自覚がなかったので、とてもショックでした。しかも、自分の発言が空気を壊したことは分かるのに、その発言のどこが悪かったのかを理解することもできませんでした。
また、このころは身なりにも無頓着だったというか、例えば似合う髪型や服装がわからずちぐはぐな恰好をしていて、男の子に冷たい反応をされることもありました。
男の子は学年が上がるにつれて口調が変わることって多いと思うのですが、その変化についていけなくなった?ような気もします。
仲のいい男の子もいたような気もしますが、とにもかくにもこの頃から男子と話すことが苦手になっていきました。
また、席替え、クラス替えなど、変化がある行事は特に嫌いでした。これも今を思えば傾向かなぁ、と思います。
長くなってしまったので、続きはまた来週更新したいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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幼少期の自閉症傾向①
近状報告
こんにちは。ぺんぎんです。
まだまだ始めたばかりのはてなブログ、わからないことも多いですが、
とりあえず続けることを目標に頑張っていきます!
さて、1月ももう終わりに近いですね。今年は平成一番の寒さらしく、雪が積もって
外も中も寒いです💦
私のここ一週間といえば、在宅ワークの記事作成に追われていました…。思ったよりライティングって大変で、ライターさんの苦労がよく分かりました。過集中や生真面目、完璧主義な性分がプラスになったときもあれば、つい休憩を怠ったり、どうにも効率が悪いようで何時間もかかったり…。6時間かけていたのげ3~4時間で済むようになったり、タイピングが多少速くなった(気がする)のは、プラスになったかなと感じています。
でも、どれだけ安いお給料であれ、仕事をしているというのは、何もしないより心が楽になっていいな、と思いました。何より社会のつながりを感じられるのも大きかったです。
近状については、過去の話に続いてまたおいおい書いていきたいと思っています。
余談「名前の由来」
話は変わって、私はこのブログでのハンドルネームを「ぺんぎん」にしたのには
3つの理由があります。
- ひらがなだと打ちやすい。変換の必要がない
- ぺんぎんの「鳥に見えて空が飛べない。しかし水中ではどんな鳥より速く泳げる」という生き方が、自閉症スペクトラムや発達障害の生き方に似てるなと思ったから
- 個人的にペンギンがとても好きだから(家におっきなぺんぎんのぬいぐるみがあります笑)
- 生まれ変わったらペンギンになりたい…と思っているから
ペンギンのあのぼーっとしていて、何を考えているかわからない姿がとてもかわいくて癒されます🌸
あのまんまるのお腹も凄く和みます…。
以前東京スカイツリーの近くにある「すみだ水族館」に行ったことがあるのですが、そこにはペンギン達がたくさんいて、「なんだここは…天国か…」と、一人水槽の前で感動した記憶があります。
すみだ水族館の公式サイト
ブログの写真に設定している写真は、すみだ水族館で撮ったペンギンの写真です。
ペンギンは普段はマイペースで、地上ではゆっくりゆっくり歩きます。
でも水中ではびっくりするくらいスイスイ泳ぐんですよね。
発達障害を持つ私も、自分にあった環境でスイスイ泳げたら幸せだろうな~なんて思ったり。
苦手なことを特訓するのも勿論大事ですが、発達障害に関しては自分に合った環境を作ることも、生きやすくする工夫のうちの一つなんですよね。
だいぶ話が脱線しましたが、今回は私の幼少期(幼稚園~小学校時代)の体験をお話ししたいと思っています。
※身バレ防止のため、一部改訂して書いていきます。
<ぺんぎんの幼稚園時代>
幼稚園の頃は、家の中でや幼稚園では、わりと活発な子でした。
朝起きるのが苦手ではありましたが、毎日楽しく通っていたと思います。
ですがこの頃は、次のような出来事がありました。
- 唇や指の皮をむしるなどの自傷に似た行為
- スーパーで知らないおばあさんに向かって「鬼みたい」と失礼なことを言う
- 友達のみんなでセーラームーンごっこをした時に、円に並んで「●●戦士、××!」と名前を言って剣を振るしぐさを一人ずつしていた時、ちょうど自分の対角線の位置にいた子が剣を振った時、なぜか「いててて…!」と切られるふりをした。みんなに「いやいやなにやってるの、そこは痛がるとこじゃないでしょ」と笑われた
いわゆる「空気が読めない」言動があった訳です。
当時私は空気が読めない自覚はありませんでした。というより、空気を読むという概念すらありませんでした。
それでもみんなは「ぺんぎんちゃんって面白いね」と慕ってくれたので、友達と遊ぶのは楽しかったです。
ごっこ遊びやままごと、人形遊び、パズルなど、好きな遊びも多かった気もします。
ただ、ぞうきんを縫うのは苦手でした。今でも手先は不器用です。
年少に上がった頃は、Aちゃん(仮名)という子とよく遊んでいました。
Aちゃんは束縛基質で、「ほかの子と遊んでほしくない」とよく言われました。
私は「ほかの子と遊びたいのになあ…」と思いつつ、気が強いAちゃんを断ることができませんでした。
もやもやしながらもAちゃんと遊び、多少の不満があれど、卒業式では仲の良かったみんなと卒業することができました。
それから私は小学校に上がることになりますが、その辺りからだんだん辛いことが増えていきました。
という訳で、来週は小学生の頃の話をしたいと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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はじめましてのご挨拶
この度はご閲覧ありがとうございます!
はじめてブログを書くので、とても緊張しています…。
ぺんぎんと申します。
現在21歳の女子大生で、(2018年で22歳になります)ASD(自閉症スペクトラム)と社会不安障害の診断を受けています。
現在は極度のうつ状態で大学を休学し、実家で自宅療養をしながら在宅ワークやイラストの勉強を独学で行っています。
特に私のような自閉症の傾向がある人は、私生活に様々な困難を持っている人が多いのではないでしょうか。
少なくとも、「苦手なことは誰にでもあるよ」「でもできるでしょ?」「しっかりしてるし大丈夫だよ」と言われてきた私でさえもむちゃくちゃ苦労してきました(;・∀・)
グレーゾーンの発達障害、しかも早期発見が遅かったため、二次障害のうつや社会不安からなかなか抜け出せず、今は在宅ワーク以外はほとんどできていません。
先月まで職業訓練のプログラムに通っていたのですが、うつ症状の悪化により外出が困難になり、現在は俗にいう引きこもりに近い状態です。
一日中動けない日もありましたが、ようやく「とりあえず今できそうなことをやろう…」となり、在宅業務で行っているライティング作業の練習も兼ねて、ブログを始めた次第です。
「果たして興味の幅が狭く、長続きがしない私がブログを続けられるのか…」
「そもそもブログをやる暇があるなら他の事したほうがいいんじゃ…?」なんて、
結構ネガティブな不安を抱えたりするのですが、
誰かがこのブログに出会って、なにかに気付けるような、
はたまた私自身がなにかに気付けるような、
意味のあるブログがかけたらと思っています。
発達障害は偏見や差別も多い障害であることは理解しています。
生活保護や障害年金への批判など、ネットに飛び交う多くの人々の意見に悲観し、体調が悪化した方を知っています。(私自身もそうでした)
私は診断から受け入れるまでかなりの精神疲労を伴いました。
今は学生ですが、将来は作業所で働くことになるかもしれません。
診断が下る以前にも、アルバイトや学生生活での悩みで、何回生きることをあきらめたかわかりません。
家族にも助けてもらったり、迷惑をかけることも多く、先が見えない難しさを日々感じています。
なので、あくまで自分が一番納得のできる生き方を目指して、
少しずつ、自分のペースでやっていけたらいいなと思います。
あまり集中して書きまくると長続きしないと自負してるので、
毎週日曜日に1記事のペースで更新していこうと思っています
発達障害のことを語るには幼少期のころの話が必須だと思うので、来週は近状報告を兼ねて、幼稚園時代の体験談をかこうと思っています。
それでは、どうぞよろしくお願いいたします(^▽^)
ぺんぎん